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学習懇談会
シリーズ9 被爆70年調査報告書“「被爆者として言い残したいこと」から何を学ぶか”
2018.02.03

日 時:2018年2月3日(土)13:30~16:30

  場 所:プラザエフ5階会議室、参加者32人

  問題提起者:八木良広(愛媛大学教育学部特定研究員)・根本雅也(立命館大学鬼怒川総合研究機構プロジェクト研究員・学術振興会特別研究員)

 9回目の学習懇談会は、被爆70年の2015年に日本被団協と協力して実施した調査の報告書『被爆者として言い残したいこと』から何を学ぶか、をテーマに、開催されました。(日本被団協と継承する会との共催)

 はじめに、調査報告書のとりまとめにあたった八木良広さんと根本雅也さんから、今回の学習懇談会の趣旨および調査報告の概要について問題提起。それを受けて、この調査に回答された被爆者や調査結果の入力や集計に携わった協力者を含む32名の参加者が熱心に議論に参加しました。

【問題提起の概要】

八木さんは、まず、被爆者団体が被爆者を対象に実施してきた調査は、原爆被害の実相の解明、活動の実施・運動の展開、国や自治体への政策提言、被爆者の掘り起しなど多様な目的をもって行われてきたこと、そこには、被爆者自身が被爆者について学び、理解を深めるとともに、被爆者でない者にとっては学びの場になるという「被爆者になる過程」が存在した、とその意義を紹介し、今回の調査ではそうした機会が限られていたので、この学習懇談会を自由に議論し、相互理解をはかる場としたい、と述べました。

 調査結果の概要については、おおむね次のような点が指摘されました。(詳しくは報告書を参照)

1.回答者706名は数としては少ないが、回答された文章を読みながら対峙すると、迫ってくるところがある。回答者集団の特徴としては、被爆時9歳以下の年齢層が増えており、それにより2005年に実施した「わたしの訴え」と比較して、10年間の経年変化の大きな項目がみられる。

2.各設問に対する回答の特徴

〇「あの日」の記憶:「死の姿」「苦しむ姿」を選択した人や、家族だけでない人間の「死の姿」「苦しむ姿」についての描写が多く、「何もできなかった」という心情につながっている。「あの日」に見たこと、体験したことは、後の問(心にかかっている、政府に求めたい、言い残したい、など)に対してもくり返し出てくる。いわば被爆者の考え方をつくる原点になっている。

○ 被爆時9歳以下で被爆し「あの日」の記憶がなくても、問2(つらかったこと)以降の回答をみれば、何もなかったわけではない。差別や病苦など、被爆者であることに変わりはない。

〇 生きる支え:60年調査にはない、入れたかった項目だが、聞いてよいのか迷いもあった。「家族に囲まれ」「生活安定」「仕事」など、ありふれた生活のなかで望まれる項目を選択した人が多いが、それは実現できなかったことの裏返しでもあろう。「核廃絶」「実相普及」を生きがいとする人たちが3、4割いる一方で、生きがいをもてず、聞かれることがつらいという人も。書いてくれてありがたいと思うとともに、申しわけない思いもした。

〇 心にかかっていること:もう一度日本が戦争するのではないかという危惧が10年前より10ポイントも高い。そこには、安保法制が強行されようという時代状況の反映だけでなく、原爆をもたらした戦争への反対、被爆者の怒りが感じられる。

〇 原爆被害はがまんできるか:9割が「がまんできない」と回答。その根底には原爆体験そのものがある。同時に、「受忍」すれば国が起こした戦争を認めることになり、再び戦争が起きることになるという戦争批判の声も。「がまんできる」「わからない」と答えた人たちも、そこには割り切れない、複雑な思いが込められている。

〇 日本政府に求めること:核兵器廃絶や実相普及を上回る3/4以上が「9条を厳守し戦争によらない国づくり」を選んでいる。10年前と比べて、基本要求の二本柱のうちの「国家補償」が10%減。国が戦争を起こしたから原爆被害を受けた、国が被害を補償することは国が戦争責任を認め、原爆被害を受忍させないと約束することだが、国家補償の問題が被爆者のなかでどうとらえられているのか疑問に思った。

〇 自由に記述してもらった「言い残したいこと」では、原爆は許せない、戦争を起こさせないということが強調され、戦争で死んだ人たちが無駄死ににならないよう死に意味を与えること。そのためにも9条を守り、人間の命と生の重さ、生き残った者の責務を問いつづけてきた70年だったことが伝わる。若者に対しては、自分で考えものをいうことの大切さが強調されている。

〇 被爆者の会の役割:被団協結成60年(2016年)を前に、初めて入れた設問だったが、想像以上に、被爆者にとっては日本被団協や被爆者の会、被爆者運動の役割が大きく、今後さらに深めていきたい。情報が入り、仲間と気兼ねなく話し合える。先達がいて、被害者の団体に結集して行動していくことの大きさは、他の社会問題にも参考になる。

【討議の概要】

〇 (調査に参加した人から)被爆者の直筆の文章を読ませていただいたのは貴重な経験だった。抱いていたイメージとは違い、普通のトーンで書かれた文章に、ものすごい中身がつまっている。「校庭で人を焼く臭いが、今も風邪をひくと甦ってくる」。原爆とともに生きてこざるを得なかった、日々思い出していることばが強烈に残っている。

〇 1歳被爆、家族に死者やケガをした人もいない幸運な被爆者だ。「被爆者になる」というのはそのとおり。最初は何も分からず及び腰で参加したが、だんだん分かってくる。生き残った者の責務として、何も言えず亡くなった被爆者のために運動をつづけたい。

〇 調査の目的と意義に「被爆者が被爆者について学び理解を深める」「被爆者になる過程の存在」とあるが、自覚していなかった。書かれていることは、胎内で被爆した自分はほとんど知らないことだが、被爆者が何を思い、何を感じて生きてきたのか、貴重な資料だ。戦争を起こさせないために、核兵器をなくすことと9条を守ることはイコールだという被爆者の危機感をどこまで伝えられるか、いろんなところで紹介したい。

〇 読んだとき、これはすごいと思った。70年前の経験と70年経った今の現状を伝える被爆者の証言集だ。被爆者自身が読んで、自分のことだけでなく、原爆被害についての多くの人たちの体験を含めて広島・長崎は何だったのかを伝えること。被爆者でない人にも、被爆者は70年をどうたたかい、どう考えているのかが伝わる記録。なるべく多く普及したいと思う。

〇 被爆70年の多くのメディアによるアンケートでは、被爆者はアメリカへの謝罪を(まだ)求めるのか、という問いが共通していて、何で原爆を免罪しなければいけないのかとつよく違和感を抱いた。アメリカが核兵器を捨て、日本がその後押しをするようになるまでは、絶対、謝罪要求を取り下げることはない、と報告書を読んで改めて思った。

〇 国家補償要求は、国が戦争責任を認めて謝罪し、ふたたび被爆者をつくらない証になるもので、本来、戦争しない国になることと直結している。そのことが94年12月に制定された現行法以降、分かりにくくなっている。国家補償は政治的で言いにくい、核兵器廃絶署名は世界平和一本でとりくみやすい、という意見があるが、いま、禁止条約を発効させるには、各国が国内法に基づいて批准することが必要だ。政府に条約に署名し批准するよう迫ることは極めて政治的なことだ。

 報告書の「おわりに」に書かれているように、「禁止条約に署名せず「核の傘」にしがみつく政策と、原爆被害の反人間性を直視せず国家補償を拒否しつづける政策の根っこはひとつ」。二大要求を結びつけていくことが大事だ。

〇 原爆被害について、国は責任を認めず放ったらかしてきた。今の法律は、国の責任を正面から問うたものではない。被爆者がいなくなっても、国が謝罪も補償もしなかったという事実は厳然として残る。後の世代が処理しなければならない国民の課題としてのしかかっていくことになる。

〇 核兵器禁止条約には「人間として容認できない苦しみと被害」と記されているが、日本政府は原爆被害をこのようなものとして認めてはいない。「基本要求」で謳ったように、被団協は、原爆は人間と相容れない「反人間的な兵器」だと言い続けてきた。これを実相普及の中心において、そのような被害をもたらす核兵器の禁止と、被害への国の償い(の二大要求)を結びつけていくべきだろう。

〇 被爆40年調査の企画・設計の原動力の一つは、死没者・遺族調査で原爆死とは何だったかの仮説を見つけることができたことだった。調査に携わった研究者には、下請けの経験に終わらせず、次の調査につながる知見や仮説を見出してほしい。被団協には、研究者を無駄に使わずに、若い人たちが生き生きと活動できるよう、これだけの成果と協力者を生かしていく場をつくってほしい。

 今回の回答者が700人余だったことについては、なぜこれだけしか集められなかったのかを、被団協も継承する会も組織としてつめてほしい。

〇 生の証言・記述を読んで、迫ってくるものがある。これを非被爆者が自分の問題とどう地続きにとらえていくか。有意義な調査をどう生かしていくか、趣向、工夫が必要だ。

 国連も最終的には被爆者の証言や存在が動かしていった。原爆被害は人間に何をもたらすのか、柔軟に掘り下げて考えていく。「人は何のために生き産まれて来るのか」ということばがあったが、それを根本的に問うてくるのが原爆というものではないか。

〇 八木:ことばの上では「国家補償」ではなかったが、自由記述の「戦争しない国」「受忍できない」は「基本要求」の国家補償要求に盛り込まれたエッセンスであり、これこそが「言い残したいこと」なのかな、という気がしている。

 いろいろな課題を与えてもらい、今日は僕たちのための会だったように思う。報告書をまとめながらも迷っているところ、十分に目配りのできなかったところも含め、改めてどのように生かせるかブラッシュアップして、一人一人のことばを研究者としてもっと分かりやすいことばで伝えていきたい。

〇 根本:被爆者団体の意義、被害者にとって被害者の会は何を意味して来たのか、をもう少し詳しく調べていきたい。

 コメントに書いたことを自分の課題として考えていきたい。一人一人のことばの意味をさらに追究し、つねに抱えていかねばならないと思っている。

※ 『被爆70年を生きて「被爆者として言い残したいこと」=調査報告=』(2017年10月刊)は、頒価200円(送料実費)。ご希望の方は、継承する会または日本被団協(TEL 03-3438-1897/FAX 03-3431-2113)までお申し込みください。

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