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学習懇談会
シリーズ8「沖縄戦と被爆者運動― 9.9学習会と沖縄交流ツアーをふまえて ―」
2017.04.08

日 時:2017年4月8日(土)13:30~16:30

  場 所:プラザエフ5階会議室

  問題提起者:木戸 季市氏(長崎被爆、日本被団協事務局次長、岐阜県原爆被害者の会事務局長)

  参加者:24人(うち被爆者12人)

【概 要】

 木戸さんは、まず、5歳7か月のとき長崎で被爆し、その後、原爆報道が解禁され自分が被爆者だと意識したが何かあれば不安を抱えていた時期を経て、1991年、全国で唯一被爆者の会がなかった岐阜県の会結成を機に、「あの日」を記憶している最後の世代として被爆者運動に参加してきた過程を紹介し、本題に入りました。

 昨年12月に日本被団協が実施した沖縄交流ツアーは、「基本要求」策定30周年(2014)、被爆70年(2015)年、結成60年(2016)へと続く3か年の「広島・長崎はなんだったのか」を明らかにし、国の戦争被害受忍政策をのりこえるために、空襲や沖縄戦の被害者との連帯を追求してきたとりくみの発展として企画されました。

 事前学習として瑞慶山茂弁護士を招いた学習懇談会(2016.9.9、被団協と継承する会共催)では、沖縄戦の民間人被害の特異性(国体護持のための捨て石とされた地上戦で県民の4分の1が戦死。米軍による被害だけでない、日本軍の不法行為・加害行為による被害)と、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(以下「援護法」)の恣意的運用により未補償の被害者が12万人も残されていること。その国賠訴訟を紹介しながら、戦争責任とは国家による戦争被害(重大な人権侵害)に対する損害賠償責任であること、沖縄戦の被害者(死者・生存者)の本願は、国の謝罪と償いによる人間の尊厳の回復にあること、被害回復の国家補償制度へ向けては、全戦争被害者の統一した闘いが重要であること、が指摘されました。

 日本被団協が沖縄戦被害者と初めて交流したツアーのメイン企画であるシンポジウムでは、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家先生が、「沖縄戦とは何だったのか 沖縄戦認識と『援護法』」と題して報告。アジア・太平洋戦争における「日米最後の地上戦闘」であった沖縄戦の甚大な住民被害に対し、国が軍人・軍属のための「援護法」を拡大適用したことによって、日本軍による壕追い出しによる死もスパイ視しての虐殺も、戦闘に協力した「戦闘参加者」に塗り替えられ、ゼロ歳児までが靖国神社に英霊として合祀されてきた。沖縄戦の真実―軍隊は住民を守らない、それどころか自国民を殺害したり、死に追いやる―が捏造され、殉国思想に絡めとられてきたカラクリを明らかにしました。

 ひめゆり平和記念館の普天間朝佳さんは、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験と、同窓生たちによって建設、運営されてきた民間立の資料館の特徴と理念、次世代プロジェクトの継承の取り組み(体験者と継承者が一緒に仕事をする中で進めてきた)を紹介されました。

 国を守るために国民を総動員した戦争がなぜ可能だったのか。木戸さんは、大日本帝国臣民の日常道徳は家に尽くすこと(旧民法、妻は法律上無能力者)であり、その上に国家に尽くす、天皇に命をささげる最高道徳(教育勅語)が学校教育をつうじて徹底され、死後は靖国神社に祀られ神になる(犬死にではない)、という三位一体の仕組みを詳しく説明。夫婦相和しも親に孝行も家を守るための絶対服従であり、それが天皇のために尽くせにつながっている。教育勅語も一部には人類普遍の法則もある、などという論はまったくのウソだと看破しました。

 そのうえで、沖縄交流ツアーを終えて、国は戦後一貫して、戦争を遂行し戦争・原爆被害を招いた責任を認めようとはしてこなかったこと、国家補償を拒否し、すべての国民は戦争の犠牲を受忍せよという政策をとりつづけていること、被爆者、沖縄戦、空襲被害者など戦争被害者の連帯の結び目はこの〈受忍〉政策とのたたかいであることが明らかになった、として、ことばを行動にしていくことがこれからの課題だ、と述べました。

 後半は24人の参加者による活発な討議が行われ、すべての戦争被害者の連帯をめざす意見が相次ぎました。

○ 沖縄交流ツアーをやって本当によかった。沖縄戦の被害者の方たちと初めて交流し、戦争被害者としての連帯のキイワードが戦争被害を受忍させることへの抵抗にあることを確認できた。

○ 放射線被害にとどまらない原爆被害のすべてについて、もう一度出発点に返って議論し、死者への償いを含む被害全体への国の補償制度をどのようなものとして実現するかを考えたい。

○ ドイツでは、独立後はじめてつくられた法律が、軍人と民間人を差別なく補償する「連邦援護法」だった。「軍人に当たるにしても市民に当たるにしても、爆弾に違いはない。区別する理由もない」(労働・社会秩序省)というドイツと日本の違いはなぜなのか。

○ 同じような被害をくり返したくない、死んでいった人たちの死を無駄にしたくない、と今日までがんばってきた。戦争被害について根本から考えて、新しい時代をつくっていく一里塚にしていきたい。

○ 沖縄ツアーで被団協は一歩を踏み出した。すべての戦争被害者の統一したたたかいを組まねば、という問題提起に我々がどう応えていけるかを考えていきたい。

レジュメ・資料

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