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継承・交流
国連原爆展in Tokyoクラウドファンディング、及び活動報告
2023.02.28

国連原爆展in Tokyo「ヒバクシャ―核兵器廃絶に
取り組む勇気ある人々」
~人間にとって核とは何か、被爆者の思いを伝えました~

○日時:2022年11月11日(金)~13日(日)
○場所:日本青年館2階ホワイエ、8階会議室GREEN

 8月にニューヨーク国連本部で開催された日本被団協制作の原爆展パネル48枚を国内で初めて展示するため、クラウドファンディングにより費用を調達、開催する企画を実施しました。
 10月20日~11月30日の間に実施したクラウドファンディングでは、井上富子さまより3万円、全国大学生活協同組合連合会さまより3万円など、総数85名/団体の方々より合計871,000円、そのほか22名の方から当会への直接のご寄付121,000円などを賜り、原爆展を無事開催することができました。ご支援、ご協力頂いた皆さま、本当にありがとうございました。

日本青年館1階ロビーから2階のホワイエ会場へ

 親子で訪れた子どもから被爆者と同世代まで幅広く、新聞やテレビの報道を見てきたという人もいました。300人近くの来場者を迎え、8階会場では被爆者と来場者が懇談する姿も見うけられました。
 また同じ日程で、会場となった日本青年館を中心に「第70回記念全国青年大会」が開催されており、全国から集まった青年も原爆展の展示を見に訪れました。一通り見学したあと青年団の活動に戻り、改めて「役目を終えたのでみなさんと話しにきました」という愛知県の青年もいました。
 アンケートやメールで多くの感想がよせられました。一部を紹介します。
「日本以外のところで原爆についてどのような展示がされたのか知ることができてよかったです」(神奈川県50代)
「反戦、原爆反対、と言う私は本当にその恐ろしさを理解しているのかと、自分を問い直すきっかけになった」(神奈川県10代)

ホワイエに入って最初はヒロシマのキノコ雲の写真から

「被爆国である日本なのに、現政府の対応があまりかけ離れているのに失望します。でも、今の若者、日本のみならず世界の若者の中の広がりを知って希望が湧きました」(東京都60代以上)
「かつて何度かお会いした被爆者の写真がありました。すでに亡くなられた方も多い。一方で若い世代に被爆者の思いは確実に届けられつつあることも感じます。この流れを私もひきつぎたい」(東京都60代以上)
「核兵器の恐ろしさはTVドキュメントで知っていたが、こうして展示のパネルを目の当たりにして、より強くその恐ろしさを感じた。やはり核兵器は廃絶すべきと思いました」(東京都50代)
「原爆に関していろいろ目や耳にすることはあったが、その前に実験やウラン鉱山での被害など知ることが少ないので興味深かった」(東京都50代)

ホワイエでのパネル展示

「戦争の勉強をずっとしてきたので、原爆の話ももっと知りたいと思いました」(滋賀県10代)
「日本青年団として今後も平和運動を続けていきたい。国連常任理事国全てが核抑止力論のもと保有している状況が本当に怖いと感じました」(宮城県40代)
「みんなで考えていかなくてはならない。被爆者だけの問題ではなく人類の問題だということをあらためて感じました」(60代以上)
「全世界に発信すべきことだと思いました」(東京都20代)

世界に発信する被爆者運動のパネルが中心の8階展示場では、来場者と被爆者が語り合う姿も

 日本被団協は広く全国各地での展示を呼びかけています。さらにノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は、国連原爆展を世界中の多くの方々に観ていただけるよう、Web公開の可能性を検討しています。

国連原爆展in Tokyo「交流のひろば」
~東京、ニューヨーク、長崎をオンラインで結び、
63人が参加して開かれました~

 「国連原爆展 in Tokyo」最終日の11月13日(日)午後には、「交流のひろば」を開催しました。日本青年館8階の会場とニューヨーク、長崎をオンラインで結び、日本被団協の国際活動をふり返りながら、国連原爆展に込められた被爆者の願いをどう受けとめ引き継いでいくか、それぞれの取り組みや課題を交流し合いました(参加者63人)。

 日本被団協代表理事・家島昌志さんのあいさつで開会後、第一部は、日本被団協の木戸季市事務局長がビデオメッセージで問題提起。次のように(要旨)述べました。

【木戸さんの問題提起】
 1940年に生まれ、長崎で被爆した私は、これから日本は戦争をしないという9条と日本国憲法を生きる支えとしてきた。その憲法はこれまで危機にさらされ続けてきたが、今や戦争前夜の感を強くしている。
 被爆者運動は「ふたたび被爆者をつくらない」ことを願い、核兵器の廃絶を世界に、原爆被害に対する国の償いを国に求めてきた。その核心は、被爆者の苦しみに根ざし、原爆が人間に何をもたらしたかを徹底して調査・研究してきたことにある。
 国際活動では、人間として死ぬことも生きることも許さない、核兵器の反人間性と、核兵器は廃絶するしかないと訴えつづけ、それを国際社会が受けとめるようになって禁止条約につながった。
 国連での原爆展開催は2005年に始まり、国連との信頼関係を築いてきたが、毎回物心両面にわたる大事業だ。写真使用の著作権許諾をはじめ国連軍縮局・広報局との意見交換など、パネル制作には数年を要し、生協の1千万円以上の募金やニューヨークのデザイナー、通訳ボランティアのみなさんの協力に支えられてきた
 プーチンのウクライナ侵略がつづくなか、6月の核兵器禁止条約第1回締約国会議では、「廃絶まで休むことをしない」と謳ったウィーン宣言と行動計画が採択された。8月の第10回NPT再検討会議では、ロシアの反対で最終文書の合意はできなかったものの、圧倒的多数の国が核禁条約とNPTの一体・補完性を強調した。
 被爆者がいなくなる近い将来に向けて、被団協は徹底討論を通して、被団協運動を受け継ぐ国民的な新たな運動を創り出そうとしている。戦争前夜を思わせるいま、岸田内閣の反国民的な政治からいのちとくらしを守る国民運動を、対話と事実を基礎に、老年・壮年・若者が一体となって、どのような運動をすすめていくかを考え合いたい。

 「ひろば」の第二部は、二村睦子理事(日本生協連)の司会で登壇者のみなさんによる交流。木戸さんの問題提起への感想を含めた簡単な自己紹介の後、8月のNY行動を紹介する短い動画(日本生協連制作)が上映され、
① 国連原爆展と被団協の国際活動について、② 国連原爆展に込められた被爆者のメッセージをどう受け継いでいくか、の2点にわたって話し合われました。
 ここでは、登壇されたみなさんの発言の要点をご紹介します。

【交流のひろば 登壇者のみなさん】(敬称略)
 遠山 京子(ニューヨークボランティアのコーディネーター。ニューヨーク市立大学ラガーディア校カウンセリング学科教授)、Zoom参加
 朝戸理恵子(原水爆禁止日本協議会全国担当常任理事。被団協ブックレット『被爆者からあなたに』の英訳チームの中心となって取りまとめにあたる)、Zoom参加
 松田あすか(長崎県立大学地域創生研究科1年、全国大学生協連 院生委員会)、Zoom参加
 林田 光弘(長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)特任研究員、元ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー)
 濱住 治郎(日本被団協事務局次長、広島で胎内被爆)

● 木戸さんの問題提起をめぐって
▶ 胎内被爆で「あの日」の記憶のない被爆者として、ふたたび被爆者をつくるなと世界を動かし禁止条約成立に至った先人の努力に頭が下がる。核の脅威に対して、高齢化した被爆者がどうとりくむか、憲法の意義を強く感じる。(濱住)
▶ 被爆者と日本被団協のたたかいが、日本国憲法を守るたたかいと一体のものだと強く感じた。人類全体の現在と未来を守るたたかいは、私たち自身のたたかいだ。(朝戸)
▶ NPT再検討会議に木戸さんといっしょに参加して、被爆者が続けてきた行動力と熱い思いに感銘した。若い私たちがバトンを引き継いていくきっかけになれば、と思い参加した。(松田)
▶ 被団協の運動は、結成宣言~国家補償の援護法(戦争と原爆投下の関係、人間存在の全面に及ぶ原爆被害を明らかにした)~核兵器の非人道性を根拠にした禁止条約と、核兵器を〈人間〉の視点でとらえ、それに抗わねばならないと一貫している。こういう思想は被爆者だけのものではない、僕らみんなにつながる普遍的なものだ。(林田)

● 被爆者の証言・活動をサポートして
▶ 35年前、朝戸さんの紹介で初めて被爆者の話を聞いて涙が止まらなかった。アメリカの人たちに被爆者の話を聞かせたいと思い、4年に一度の機会にボランティアを募り、通訳、証言の場の提供、地元の人々との交流を準備してきた。学校訪問で、僕たちに何ができますか?と問う子に、木戸さんは「今日聞いた話を、家に帰って家族に話してくださいね」と答え、高校生でも平和運動の一歩が踏み出せると思った。
 ボランティアをして人生が変わった。そういう体験を皆にしてほしい。日本人として、人間としての責任を学ばされている。(遠山)
▶ 遠いところから、大きな希望を抱えて来てくれた。若い人たちにどう手渡していくかが一番の悩みで、横のつながりをもっていく草の根の運動が大事だと思う。デジタルの時代、全世界の問題としてみんなで考えないと大変だ。(ストロー初代=NYボランティア)
▶ 原爆・ヒロシマ・ナガサキは、学生の頃は思い出したくない恐ろしいことだった。それを伝えつづける被団協の人たちがいて、きらきらして使命感をもって活動している。悲しみや怒りを超えた人間のいのちの尊さを考えた、緊張感のなかにも楽しいボランティアだった。(遠藤真理子=NYボランティア)
▶ 被団協のブックレットの英訳には、英語で力になりたいと、4月から10数人が協力してくれた。6月の締約国会議に間に合わせて被団協のホームページで公開し、8月には印刷物にしてNYに持って行っていただくことができた。この冊子には、被爆者の今伝えたいこと(人間への甚大な影響、被爆者の長いたたかい、次の世代への期待と希望)が詰まっている。英語版の世界への普及とともに、知り合いや友達と直接話すことが力になる。
 被爆者は、今生きる私たち、次代の子どもたちのために、自らを変革して、政府、核保有国、国連へ働きかけてきた。崇高な生き方に心動かされ、近づきたいと思う。(朝戸)

● 核兵器禁止条約の意味
▶「小さな国なんて」と思いがちだが、条約が採択されたとき、小さな国の名前が次々と掲示板に出た。8月NPT再検討会議の最後の日にも、小さな国の若い人たちが来ていた。こうした国にも呼びかけて情報交換ができたらいい。「国連」というが、市民運動をしている人たちが連携し、市民が立ち上ることに焦点をあてたい。(遠山)
▶ ヒバクシャ国際署名の活動を開始したときには想像もしていなかったが、署名の開始から終了後も含めて、条約の誕生・発効、批准国増と重なった。条約とは新しいルールをつくること。必要悪としての核兵器を認める世論に対し、人間の立場から絶対悪の世論を広めること。それを無視する政府と世論を肯定しているのは日本の国民だが、それだけが世論ではないことを1370万の署名が示した。
 国際署名は、① 核兵器の非人道性・絶対悪としての核兵器、② 対立から協調へ(同じ組織になるのではなく、各組織・個人のやり方で共通署名を集める)、③ 国家ではなく、個人の視点で核兵器をとらえる(多くの人が運動の当事者として、核兵器を自分にひきつけてとらえるようになる)という点で、被団協運動の集大成だと思う。(林田)

● 被爆者運動が築いてきたもの 国際社会の受け止め

▶ 多くのみなさんの協力・支援のもとに被爆者運動の今がある。原爆展パネルNo.30~37「国連と被爆者のあゆみ」には、被団協の結成宣言に見るように、最初から世界・人類を想定した活動をつづけて来たことが示されている。禁止条約について、ホワイト議長は「理性とハートを結ぶ血の通った温かい条約」、「被爆者が共有している経験は、人間の魂にふれるもの」と言い、中満国連事務次長・軍縮担当上級代表は「被爆者に捧げられるべきもの」、「背後にある道徳的な原動力は、核抑止の冷徹な顔に人間の顔を映す」と言われた。(長年にわたる運動のなかで)核兵器の反人間性、核兵器が人間と共存できないことをしっかり位置づけてきている。(濱住)
▶ NYでは生協チームの活動に加わり、イギリス、オーストリア政府の代表部に要請した。オーストリアでは「被爆者の思いを受けとって仕事をしていく」と発言があり、非核国の使命感を感じた。再検討会議の一般討論(8/1~4)では130の国・地域が発言。原爆の日を前に、広島・長崎への言及が相次いだ。施設内をめぐるツアーには、現地の若者や家族づれが訪れていて、日本の政治参加とのギャップが気になった。ドイツから来た若者たちとの交流では濱住さんが証言。帰国したら被爆者の話を周りに広げていきたいという声を聞き、確実にメッセージは伝わっていると感じた。(松田)
▶ NYの地元でも国連に足を踏み入れていない人がほとんど。国連との距離をどうやって近づけるかが課題だ。他の都市でも、国連に来られない人でも見られる工夫があったらよい。テクノロジーを活かした発信が絶対に必要だ。(遠山)
▶ 国連原爆展の内容も、毎回、国連軍縮局などとの討議を重ねて変わってきている。私が見たのは1、2回のみ。集大成と言われる今回の原爆展もぜひ見たい。他の都市での開催にとり組むとともに、写真の著作権の問題もあって簡単ではないが、国連に来られない人も見られる工夫があったらいい。(朝戸)
▶ 原爆は戦争の中で使用された。外国では広島・長崎に対する視点は日本とまったく異なるが、長崎では原爆は被爆体験としてのみ語られ、戦争の文脈が欠落しがちだ。被団協は粘りづよい活動で、世界中に仲間を増やしてきた。禁止条約が生まれたことで、かつてなく被爆体験が伝わりやすくなっている。国外で仲間づくりをすすめ、被害・加害を超えて被団協を支えるネットワークをつくりたい。(林田)

● 受け継ぎたいこと
▶ 学部時代から続けてきた平和公園の形成過程の研究(ハード)プラス、どう若い世代に伝えていくか、継承方法の考察(ソフト)の両面からとり組んでいきたい。NPTの経験を記事にして大学のHPに掲載してもらった。国際交流委員会と協力して、学内で報告会をするなど、より多くの場でより多くの人に届けられるようにしたい。
 「生の声を聞ける最後の世代」と言われてきたが、それは「語り継いでいく最初の世代」ということでもある。先輩が言ったように、無関心でいられても、無関係ではいられない。自分に興味のある面からアプローチしていけばよいと思う(自分は研究から)。(松田)
▶ こういう形でみなさんの話を聞けるとり組みを定期的にできればよいと思う。NYと日本だけでなく、世界の日本人・活動家とともに。被爆者には、元気なうちはぜひ来てほしいが、次に来られるまでの間、持続することが大切だと思っている。(遠山)
▶ 被爆者は核兵器のない世界をつくることを、被爆者として生きる使命としてきた。それを私たち自身の使命とすること。日本政府に禁止条約の署名・批准を求める署名を広げ、核兵器廃絶を主導する国にかえることが、私たちの世界的使命だ。(朝戸)
▶ 日青協では、ブックレットの輪読から原爆展の開催につながった。いっしょに学び合うことで、次につながる疑問や課題が出てくる。小さくても場所がある、インターネットでつながる、“ノーモア・ヒバクシャ”継承の拠点づくりを世界中に広めたい。(濱住)

 最後は、実行委員の棚田一論さん(日青協事務局長)による閉会のことば。この原爆展に並行して開かれている全国青年大会が、戦後、戦争の惨禍を繰り返さないため平和への「不断の努力」を形にしようと開催してきたスポーツ、芸能、文化の大会であると紹介。全国各地から集まった青年たちにパネル展見学を呼びかけ、見れば目の色が変わった。気づくことが大事。これからも地域でいっしょに頑張っていきたい、と締めくくりました。

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