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“~ノーモア・ヒバクシャ”継承の拠点を各地に~
継承・交流
12/11 オンライン討論集会の報告
“~ノーモア・ヒバクシャ”継承の拠点を各地に~
2022.03.07

 設立から10周年を迎えた継承する会は、この間、被爆者運動資料を中心とした史資料の収集・整理作業をすすめながら、その活用をはかってきました。一方、各地で活動してきた被爆者の会が解散や活動停止を余儀なくされる事態がつづき、東京に「継承センター」をつくる努力をつづけるとともに、被爆者運動がめざしてきた“ノーモア・ヒバクシャ”を継承する拠点を各地につくることの大切さも浮かび上がってきています。
 昨年12月11日(土)、設立10周年企画のPartⅠとして開催したオンライン討論集会では、そうした問題意識のもと、北海道・石川・岐阜・奈良の各地から継承活動の現状と課題を報告していただきました。
 この企画には20都道府県から約60人がオンラインで参加。短い時間の交流でしたが、各県の多彩で地道な努力に励まされた、参考になった、こうした機会をさらに、といった感想が寄せられました。

《各地からの報告のあらまし》・・・・・(敬称略)

■ 北海道から(報告者:北明邦雄、斎藤哲、松田ひとえ)
 広い道内に被爆者が散在する北海道では、年1回集まれる場がほしいという一被爆者の声をきっかけに、1991年、市民の力で「ノーモア・ヒバクシャ会館」が設立されました。1階を北海道被爆者協会の事務所に、2階を遺品やパネルの展示に、3階を研修室として運営しています。
 2016年に日本被団協が実施した二世調査の北海道分を独自に集計し、翌年5月に発表したところ大きな反響を呼び、それを契機に被爆者・二世・一般市民からなる「被爆二世プラスの会」を結成しました。「プラスの会」としたのは、二世は実に多様で親世代以上に葛藤を抱えるなど、被爆者が背負ってきた課題を二世だけに引き継がせるのは難しいこと、また、その課題は非被爆者にも共通の課題であることから、三者いっしょにすすめる会としたものです。現在会員は55名(二世20、被爆者11、一般24名)。親の被爆体験を学び伝えるとともに、被爆者協会の道との交渉に同席し二世健診への要望を提出するなど、改善をはかってきています。
 親世代とともに、原爆展や追悼会、核兵器廃絶に向けたとりくみをすすめるなかで、ネットで育ってきた若い人たちには、パソコン作業やホームページづくりを主に力を発揮してもらっています。被爆者協会、ノーモア・ヒバクシャ会館のホームページづくり(2018~2020)には多彩な層が参加。クラウドファンディングで資金を集め、10人の被爆者の証言を動画で発信しています。子ども世代に向けた絵本『北の里から平和の祈り』の制作(2020)にあたっては、大学生に英訳の協力をしてもらいました。
 2019年には、親の被爆地点に立とうと、広島ピースツアーを実施し、現在長崎ピースツアーも計画しています。こうしたなか、全道で6名の二世が語り部として活動するようになってきています。
 会館のこれからの運営や、展示物・資料の整理など課題はありますが、ここを拠点に小学校25校で被爆証言を行うなど新しい継承の動きも生まれてきており、そのなかでプラスの会がどんな役割を果たしていくのかを考えていきたいと思っています。

 【資料】北海道からの報告
 【参考】北海道被爆者協会のホームページ

■ 石川県から(報告者:西本多美子、東しげの、大田健志)
 もともと被爆者数の少ない石川では、現在59人(平均年齢85歳)にまで減少。会としての活動が困難になり、2022年3月末をもって会を閉じることになりました。しかし、1961年に結成した石川県原爆被災者友の会とともに、30年以上にわたって平和の学び、継承の活動が続けられてきており、友の会会長の西本さんは「継承活動については悲観していない」と言い切ります。その活動の一端が報告されました。

【資料】石川県からの報告


1.「平和サークルむぎわらぼうし」の活動
 きっかけは被爆40年の女優たちによる朗読劇「この子たちの夏」を多くの人で観たこと。これを毎年開催しようと決めて、翌1986年には2ステージを実現、広島の世界大会に2人を派遣し、その報告会で会を発足させました。
 県内被爆者の被爆証言を聞くことからはじめ、これが後に友の会がつくる証言集『青い空を―いしかわの被爆者たちの50年―』の礎になりました。戦争の歴史や、会員の体験・平和活動を互いに学び合う毎月の例会には、学生さんらも交えて多い時には50人以上が参加、これまで420回も続けられてきています。
 チェルノブイリの母親や教師・子どもたちとの文通・交流(2回の訪問や招待を含む)、『はだしのゲン』ロシア語版全10巻の翻訳、「3.11ふくしまのツアー」から学ぶ、など、とりくみは広範かつ多岐にわたっています。

2.「平和のバトン」を次世代につなぐ多団体の協同
 県内の多くの団体、グループが協同して、「平和のバトン」を次世代につなぐ活動も盛んにおこなわれています。
 中沢啓治の『はだしのゲン』を翻訳し世界の子どもたちに贈る「NPO法人 はだしのゲンをひろめる会」は、金沢の翻訳グループ「プロジェクト・ゲン」の英訳・ロシア語訳が発端となり2012年に設立。事務所も金沢市内におかれ、現在24か国にまで広がっています。石川反核医師の会と連携して県内の小中学校にも寄贈されました。
 「反核・平和おりづる市民のつどい実行委員会」(1981「石川県平和を考える会」の名で結成)は、友の会をはじめ青年団、生協連、反核医師の会など県内7団体で構成。毎年、原爆犠牲者追悼碑「平和の子ら」像が建てられた卯辰山で、「反核・平和おりづる市民のつどい」を開催しています。
 「平和の子ら」委員会では、99年に作曲された歌「平和の子ら」を全国でより広く歌ってもらおうと2019年にCD&ブックレット化。さらに金沢市立十一屋小学校の6年生が岩佐幹三さんの5時間分の証言をもとに制作した紙芝居(1988年、全48枚)を全26枚に再構成。「戦いはまだ終わらない」として制作し普及しています。今後、西本さんの紙芝居制作も予定しています。

 【資料】NPO法人はだしのゲンを広める会事業案内
 【資料】「戦いはまだ終わらない」注文チラシ

■岐阜県から(報告者:木戸季市、赤塚さとみ、今井雅已)
 岐阜県では、岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)が毎年、総会・慰霊祭・相談会にとりくみながら、「原爆と人間」展の各地での開催などを、県内諸団体との協同ですすめてきました。2017年3月に岐朋会の呼びかけで結成された「ヒバクシャ国際署名」をすすめる岐阜県民の会には、生協・原水協(平和委員会)・保険医協会・新婦人・労働組合など県内の幅広い団体・メンバーが集まり、月1回の事務局会議、3か月毎の推進連絡会議を重ねながら、15万筆を超える署名と39名の首長の署名を集めることができました。何よりもそのなかで岐朋会のみなさんが元気になりました。
 国際署名を終えるにあたり、せっかくできた県内団体が繫がった活動を惜しむ声や、「あと10年たったら被爆者はいなくなる」という木戸さんの言葉に押され、「被爆体験を継承し核廃絶をめざす」ことを目的として、2020年12月に「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」として再結成。当面は被爆者の証言撮りを中心に、5年で50名を目標として活動を始めています。木戸さんに「核兵器禁止条約」について語ってもらう学習会を開催し、『被爆者からあなたに』を紹介・普及。年明けからは「すべての国に核兵器禁止条約の批准を求める署名」の街頭署名も始める予定です。

 継承活動には、「中国帰還者連絡会(中帰連)」やそれを受け継いだ「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の先行事例があります。とりわけその貴重な史資料や蔵書を収め、研究・活動の拠点となっている「中帰連平和祈念館」(埼玉県川越市)の経験は、継承にとって決定的に必要なのは記念館・資料室づくりであることを示しています。活動拠点があって、初めて継承する若者が育ってくる。組織を作っても、学習する場、話し合う場=継承の拠点がなければ組織は消滅するからです。
 岐阜でも、被爆者からの資料や証言映像記録を保存するため、加田弘子会長の自宅倉庫をお借りして資料室の創設をめざしています。資料が集まっていて、そこに行って学習できる、相談できる場は、拠点づくりのテーマに最もふさわしく、岐朋会の30年史もつくろうと意気込んでいます。

 【資料】岐阜県における継承活動

■奈良県から(報告者:岡英幸、新田和夫、入谷方直)
 奈良県では、市民生活協同組合ならコープの創立(1974)当初から、“平和とよりよい生活のために”を掲げてきました。その根底には、孫を戦場になんか送りたくない、という女性たちの強い思いがありました。核兵器の廃絶をめざし、知る・学ぶ(学習会)を第一に、行動し(国連等への代表派遣、署名・募金活動)、諸団体とのつながりを大切にしてきました。
 1981年には「にんげんをかえせ」「予言」の上映運動を地域に根ざして広げ、県内155か所での上映会に7570人が参加。SSDⅡ(1982)や2015NPT再検討会議に代表を派遣しました。1984年からは、継続してできる被爆者支援の活動を、という組合員の声にこたえて募金活動にとりくみ、日本被団協などに贈呈しています。
 1990年には県内5つの生協により県生協連が設立され、毎年、日本被団協の役員を招いて「ピースアクション in なら」を開催。県の被爆者の会「わかくさの会」が発行してきた被爆体験集『原爆へ 平和の鐘を』の第3巻では、聞きとり、テープ起こしに組合員も協力しました。「ヒバクシャ国際署名」のとりくみでは、店舗で署名を呼びかけ、自治体首長にも要請、2万3千人の署名と38首長の署名を得ることができました。

 一方、2006年にはわかくさの会が全国でもっとも早く解散しました。発行された手記集全3巻が県内のどの図書館にもそろっていないことに危機感をおぼえ、被爆者の人生を記した一人一人の手記を残そうと活動しはじめた入谷さんとコンタクトがとれ、2017年から協同のとりくみが始まりました。
 被爆者や遺族一人一人に連絡をとり、直接足を運んで掲載の了解をとり、新たな資料をいただくなど、入谷さんの地道な努力のなかで、わかくさの会の前身である被災者の会が存在したことも分かってきました。『奈良県のヒバクシャの声 第一集』は年度内に発行する予定、第二集についての協議も始まっています。
 2019年10月には、コープふれあいセンター六条の2階に「平和ライブラリー」を開設。県内被爆者の手記や戦争資料など、収集した資料の整理作業は、資料をつうじて心ふれあう機会にもなっています。

 最後の入谷さんの発言は、この日のテーマの締めくくりにふさわしい内容でした。詳しくご紹介しましょう。

 いつか訪れる被爆者なき世界で、私たちは何を土台に核廃絶を訴えるのか。個人の手さぐりの活動が奈良県生協連・ならコープとの協同で、平和ライブラリーや手記集の発行と具体的な形になってきました。
 広島・長崎の資料館に保存されている遺品は、将来歴史史料として文化財に指定される日がくるはずです。戦争・原爆体験から始まった戦後の平和運動も、歴史史料としてそれに準ずるものと私は考えています。
 核兵器禁止条約に至るまでの長年の原爆被害者や支援者の努力は、どれほどの規模で積み重ねられてきたのか。それらは地域に散在し、その重要性に気づかれることなく失われています。
 地域の記録を守れるのは、地域に住む私たちだけです。みなさんの住む地域で、最初に被爆体験を公表したのはどなたでしょうか。地域の会の発足に尽力した人の記録は残っているでしょうか。受け継がれていない記録も、地域の新聞の記事を丹念に紐解けば、見つかるかもしれません。被団協や継承する会の資料の中にその痕跡があるかもしれません。亡くなった被爆者の家族や近所の方々から貴重な話を聞くことも、今ならまだ可能です。
 掘り起こしを重ねて、地域の被爆者の記録を守り、被団協や継承する会と記録を共有化し体系化する。継承とは、今あるものをただ受け継ぐだけでなく、能動的に足らないものを補いつつすすめていくことと私は考えています。
 全国で最初に被爆者の会が解散してしまった奈良県で、継承活動が始まっています。資料を掘り起こし、保存・共有する場ができました。次は、それをどのようにして人々に伝えていくか。
 今準備している新たな手記集は、著作権フリーとし、条件付きで誰でも自由に扱えるものにします。実験的につくった小冊子、原爆被害の状況写真は、すでに著作権フリーの状態で奈良県生協連のホームページで公開しています。
 継承することの難しさを知る私たちは、後世の人々がスムーズに受け継げるよう、準備する必要があるはずです。何が正解かは分かりませんが、具体的に動かなければ、具体的な答は見えてきません。継承活動の実験的な試みを、奈良県生協連・ならコープと連携してすすめていきます。

 【資料】奈良県における平和の継承活動
 【参考】奈良県生協連のホームページ(「平和」のページ)

《各県の報告や討議をつうじて分かってきたこと》
○ 小さくても、資料が集められ、そこに行けば読んだり学んだりできる場があることの大切さ(北海道、奈良、岐阜、山口など)
○ 若い人たちには、具体的な役割をもって参加してもらうこと(パソコン、ホームページづくり、SNSの活用、英訳など)
○ 若い人たち自身が主体となるとりくみ(継承する会の「未来につなぐ被爆の記憶プロジェクト」、昭和女子大生による史料整理作業など)
○ 長年、被爆者の会とともに多彩な活動をしてきた団体・グループ・個人とのつながりや経験を生かすこと

 継承する会では、今回の試みを手始めに、各県・地域で模索されている継承活動を交流し合う場を重ね、各地に“ノーモア・ヒバクシャ”継承の拠点づくりをすすめていきたいと考えています。

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